2019年7月 9日 (火曜日)

『モンローの山―リンへ』


 平成十九年七月十三日(金)
 あなたのお陰で退院にこぎ着けます。思えばたくさん泣かせました。独りぼっちだったり、不安で怖かったり、そんな思いなんかすることなかったのに、五週間も辛いところに置き去りにしたね。あそこにあなたを一人で残すことは絶対したくなかったんだ。でも、結局こうなった。
 こうなって思うのは、あなたの活動力と芯の強さだった。いや泣きもし、震えもし、僕の仕打ちを呪いもしたろう。でも、あなたは現実の歩みを見失わず、決めた日程をちゃんとこなした。そして何より、遠い毛呂山まで何度も通ってくれました。ただただ、ありがとうです。
 もちろん、枕元にたくさんの人が訪ねてくれました。身に余る喜びの連続でした。言いたいのは、それらの人たちと胸を張って会うその心に、あなたの存在がかっきりと根を下ろしていたことです。
 もう二年……これまでもそうだったけれど、僕はいつも心にあなたの顔を浮かべて生きている。離れていても心のあなたと話し、自分の人生の手応えを確かめながら。だから、このしんどい時期、挫けずに僕と一緒に歩いてくれたあなたの頭を何度も撫でてあげたいのです。

 七月十四日(土)
 台風が来るとか、窓は灰色。この六人部屋に移ってから、この窓は磨り硝子かと度々思った。でも、夕方時偶鳥がよぎるから、一面の梅雨空だとわかる。大丈夫、家に戻れば青空があるね。

 五週間……やっぱり長かったね。思い出すよ、六月十五日は、それでなくてさえ心細いリンに二度も打撃を味わわせたね。最初は二人部屋に案内されて、入院の事実に戸惑いながらもどこか居直って過ごし始めた時だ。青木さんがシステム・ベッドに昇れると言い、僕らはそれに従い部屋を移った。HCUというのか、オペ後や急変の患者が入る部屋だったね。
 リンは僕の状態を看護婦に伝えようと真剣だった。特に体位交換の脚の位置。お手本を示してそれを伝えようとするリンの背後で、中島さんが口走った。
「教えてくださればやりますよ」その刺々しさ。
 それで僕がもう手の出せない領域に入ったことを思い知ったんだね。リンは後で言ったね。「この部屋には渡れぬ川があるでしょう」って。こういう局面を上手にやりくりできない自分が情けない。僕がリンに依存しきっている証拠で、それがこの場面の原因を作ったんだからね。
 リンは傷つき、寂しさの奈落に落ちた。僕も引き裂かれた気持ちだった。その中島さんに、後できちんと挨拶をしているリンを見て、そういう姿に僕は頭が下がった。
 もう一つは、入院日の夕方だったか、翌日だったか、戸口のベッドにいた老人が急変した。(このへんの事情がもう曖昧なのだけど)……要は、透析中に危険に陥った患者のベッドに若い医師や看護婦たちが群がった。処置を始める気配で、僕と他の同室者のベッドにカーテンが引かれる。リンは一度部屋を出なければならず、「外に出てもまた入ってこられますか」と声が聞こえた。それから僕は夕食の介助を受け出した。やがてそこへリンが戻り、カーテンの隙間から、「帰ります。こんな時も食べられるのね。偉いわね」と震える声で言った。動悸を抑え、青ざめたその顔が忘れられない。
 人間には何でも起こりうる。頭でわかっていても現実の光景を目の当たりにすると全身がざわめく。打ちのめされて帰路についたリンを思い続けた。

(リンが子ども達と食事をするために早めに帰ったところだ。この入院で最後の面会。次はお迎えの朝だ。帰り際に触れたリンのやわらかさは、僕が人生で得た最良のものだ。僕はリンの許へ戻るのだ。そこが魂のふるさとだから……そう、僕はふるさとを見つけたのだ)
 この褥瘡は四年も持ち続けた。この期間の出来事はどんどん記憶の底に埋もれてゆく。だが、失ってはいけないものを告げるように、何かの証しとして褥瘡は絶えず躯にあった。
 何としても自力では治癒に至らなかった傷……それは、傷なくしては得られぬものがあったがゆえに、僕に用意されたもののようだった。リンを引き寄せた力の根は、案外傷にあったといえば妄言だろうか。でも、それゆえに費やしたベッド上の時間の意味は名状しがたい。功罪は分かちがたくても、いつの間にかこの傷を持ち続けることに脳が破裂しそうになっていたのだ。
 だからだろうか、リンがオペ室に見送ってくれたあの時、エレベーターを待つストレッチャーの上で、不意に何かの歌のフレーズが浮かんだ。
 ……今日ですべてが変わるさ、今日ですべてが報われる……
 何の一節だろう……まるで思考が滞ったような状態で、僕は手術室に向かった。

 手術は何度もした。その度にけっして健常に戻る手術ではないことを切なく思った。この齢になっても、その痛みはある。だから、麻酔から醒めるときが嫌いだ。また元の現実に目覚めたことへの少しの失望……しかし、次の瞬間襲ってくる悪寒がなかったのは、今回の救いだった。そして、すぐさまリンの姿を認めたのは、大きな安堵感、大きな幸福だった。
 後日、大野さんという老婦人がオペ直後、意識の混濁の中で、「どうして私はこんな目に遭うのですか? 何で私にこんな仕打ちをするの? 私が何をしたと言うのよ? 警察を呼びますよ」と憑かれたように言い続けた。
 付き添ってきた若い医師二人は「落ち着いたら来るから」と苦笑いして部屋を出たが、待っていた老人の娘と妊婦の孫娘は「おばあちゃんは狂ってる」と匙を投げ、惘れ顔で帰って行ってしまった。
 だが、老人の言葉に僕はちっとも異常を感じぬのだ。実際その通りで、ちゃんと言い得ているのだ。僕だってそう叫んで麻酔から醒めたいのだ。ただ、その老境に至っていない。

 七月十五日(日)
 外は大雨だという。夜中の体交で同室の人が眠れないらしい。空間に幾分ゆとりのあった前の部屋と違い、手を伸ばせば隣人のベッドに届く狭い六人部屋の宿命だ。
 昨日の午後大野さんが転院する声が廊下でした。老いぬ人はなく、病まぬ人はない。そして半生の付けが躯に刻印されたように、人は病室を入れ替わり立ち替わりする。
 この病棟は半分が皮膚科、半分が口腔外科と形成外科だ。だが、手術する患部よりも、その人が宿痾として抱える内臓疾患が、恢復を妨げる。
 当たり前の話だが、この場に足を踏み入れれば否応なくあの手この手の医療処置を受ける。症状がもつれれば、もう何の判断もできないような躯に何台も点滴ポンプをぶら下げる。
 リン、僕はここに来て人としての終わり方をしみじみ考えたんだよ。自分が今年五十四という年齢に達することもあって、この世界から去るときの難しさを本当に実感したんだよ。
 もちろん、先のことはわからないと言い訳してきた。でも、深谷シネマで一緒に見た『海に飛ぶ夢』という映画を思い出す。あれは何かの暗示ではなかったろうかって。

 いつもは目を反らす自分の終末をこんなにも言うのは、大野さんの連夜の譫言に聞き入っていたからかもしれない。いや、もう一人岡部さんという老紳士の難行を見守っていたせいが大きい。
 透析で血圧が下がり、あのリンを驚かせた入口左の人だよ。彼はあの後、意識不明に陥った原因を問い沙汰され、抗生剤や高圧剤の投与を受けるために、首の付け根に針を刺されることになった。家族が入室を許されるまで、ほぼ一時間、懸命な取り組みだった。
 そういう危機を脱して、明くる日目を醒ました時、彼は被害妄想狂の別人になっていたんだ。「何するんだよ。何をしたんだよ。このままでいいんだよ。何もするなよ。来るなよ。触るな」と大声で言い立てる。「テルコー、マユミー、こいつらが何をやるか見ておけ」と家族の名を呼び、不当な扱いを呪い続ける。
 リンもこの午後、僕のベッドの横で彼の様子を視野に入れたね。「あの方、どうしたの?」と気遣うきみに経過を話すと、「わたしの知ってる人もそうだったのよ。でも、ちゃんと戻るのよ」と言った。
 たしかに次の日の夕方には、彼から魂の荒れも去ったが、この日は、つまり引き続くこの夜はどこからそんな力が湧くのか、彼は近づく者を恐れ、大声で罵り続けたのだ。血圧や脈拍を知らせるモニターは測定不能でピーピー鳴り、血糖値を計る都度「痛いよ。やだよ。やめろよ」と声が炸裂する。当直だった主任看護婦は、朝容態を診にきた皮膚科の女医に「一睡もしておりません」と報告した。
 しかし、奥底から迸るような荒々しさが表れたのは、これが最後だった。もともとそんな興奮感情の高ぶりを示す容態ではなかったのだろう。ようやく静けさが戻ると、また一日置きの透析が始まり、血圧が下がる。すると、医師や看護婦が彼の許に殺到し、騒ぎになる。これが済むと、点滴の種類が増えている。気がつけば、点滴の管と検査のコードに老人の躯が埋もれているようなのだ。
 枕元を訪ねてくれた貴子さんと「終わり方」の話をしたのは、この時だ。「それが難しい時代ですね」と貴子さんは言った。
 僕は彼がどんな人生を送ってきたのか、思わずにはいられなかった。今時珍しい亭主関白だったのだろう。いや、それを許容する素晴らしい奥方を連れ合いに持ったのだろう。子どもは、こよなく愛したのだろう。既婚の娘の手厚い看護を受ける様子を見れば、はっきりとわかる。彼は家族にはなくてはならない存在なのだ。

 だが、その家族を廊下に待たせ、扉の内側で治療や処置が行われる。
 透析は体重測定がが不可欠らしい。衰弱が著しい老患者の透析が部屋で行われることになった。彼を車椅子に乗せることはできない。ベッド上で体重を計る器材が持ち込まれ、彼を寝たまま吊して計測した。それが透析の前後にあった。検査技師と測定の看護婦達の顔ぶれが、前後で違った。慣れない器材の扱いと測定方法で、双方の組がそれぞれのやり方で苦心した。その結果、透析の後半を引き継いだ検査技師が体重の数値が違っていることに気がついた。技師はピッチで上司に事態を報告した。「自分は途中で引き継いだだけだ」と申し開きを含めて。
 この時、老患者は物音も立てなかった。家族は立ち会うこともできない空間で、医療の聖域と信じたいベッドで、他人に囲まれて眠り続けた。

 待って待ってやっとたどり着いたエアー・フローティング・ベッドは、看護婦曰く費用は一千万、重量一トン、砂と呼ばれる細かな粒子を入れ替えると百万だということだ。かなりレトロな代物で、砂を吹き上げて横たわる人体を除圧するらしい。仰臥してみると、全身ズボッと沈み込んだ感じで、四肢麻痺の僕などひっくり返った亀のようだ。そこから下りた今となれば、麻痺が深刻になるにつれ、深まっていった躯の逃れられない重さから、少しの間解放されていたのだとわかる。
 このベッドが本来六人部屋の空間に二台あって、当時、右列の真ん中にいた僕の足許の方、反対の左列の入口側に病める老紳士がおり、窓際のもう一台のシステム・ベッドで老婦人が褥瘡のオペ後を過ごしていた。二人の間は看護婦が滞在するスペースで、電子カルテと処置道具があった。
 僕が見る限り、老紳士と老婦人には共通点があった。極度に構って欲しい患者だったということだ。治療の場所である以上、当然の欲求かもしれない。ただ、二人はコントロールを失った内面をむき出しにしていた。言い聞かせても届かぬところは、子どもより手に負えなかった。だが、改めて言うが、だから患者なのだ。どんな患者に対しても、看護婦はアガペーの愛に似た豊かさを湛え、困難なケースに臨むのではないか。
 もう一つ患者を戸惑わせるのは、あらゆる手を尽くす看護婦とするべきことをするだけの看護婦が現場に共存することだ。オペ後、すでに兆しのあった齢八十の老婦人が、さらに深刻な譫妄状態に追い込まれる出来事に出くわしたのには、そんな事情も絡んでいただろう。
(雨が上がって、夕方陽が差した。いま夜の向こうで花火の音がする。どこで上げているんだろう。リンはママに会いに行っただろうか。足踏みしていた夏がやってくる)

 七月十六日(月)
 看護婦がカーテンを開けたけど、期待した台風一過の青空はない。朝六時に検温のコールが流れると、看護婦が台車を押すガラガラという音が聞こえ、動ける患者は廊下に出て行く。僕の入院もあと二日。
 リン、この一連の文章を『モンローの山』という題にしようと思うんだ。昔、『モロー博士の島』という安っぽい映画を見た。ドクター・モローが動物を人間に造り替えて住んでいる禁断の島というわけだ。夜中にそれを思い出したら、頭から離れなくなった。
 でも、ここの地名からマリリンの姓を聞き取っているに過ぎない。この山に女神がいたら、マリリンのように微笑んでいて欲しかったんだよ。

 僕は老紳士の過去を知らない。だから、どんな物腰が平素の彼なのかわからない。言えることは、「もとのお父さんに戻ってよかった」という家族の言葉通り、彼は苦行に耐えて落ち着きを取り戻していた。
 それから二つの夜を老紳士は味わったのだ。一つは小柄な初老の看護婦が注文の多い彼の言葉に、全力で応えた夜だった。数種の輸液と透析で命脈を繋いでいる彼のベッドを、彼が望むからと、その上半身を起こすべく、彼女は上げ下げを繰り返した。或いは両足を上げるべくクッション代わりに物をかった。カルテにある指示の幅で、そこから先は看護婦一人一人の才覚なのだ。
 そして深夜十二時、眠れぬからラジオを聴きたいという彼の要望に従い、彼女は棚の黒いバッグを探り、お目当ての品を見つけた。だが、その試みも、「ここは電波が入らないのかな」という言葉でうやむやになった。こうして一夜を働いた彼女の得たのは、「胸が苦しい」という患者の掠れ声だった。「どう苦しいの?」という問いに、「息が吸えない」と彼は答えた。あとで、ポータブルによる胸の撮影になった。
 次の夜、部屋の受け持ちは若い丸顔の看護婦で、課されたものだけを果たすタイプの人だった。そういうスタンスで仕事は賄える。その姿勢を咎める理由は、現場にはない。
 消灯時、一つのやりとりがあった。彼はラジオを聴きたいと言い、彼女は「だめだよ。みんな眠る時間だよ」と答えた。たしかに病棟の決まりとして、消灯には「テレビ・ラジオは電源を消して……」とコールがある。彼は言い募ったが、彼女はだめを押し通した。子どもに辛抱強く言い聞かせるような、家族に似たアプローチはない。彼女は暗がりにすべてを閉じこめるように、これまでになく部屋の明かりを落として部屋を出た。それは巡回時間しか部屋に足を踏み入れない彼女の姿勢を示すものだった。
 だが、その直後、彼の内部で何かが切れた。彼の右腕はもぞもぞと動き出し、治療という名の下の数知れないしがらみを取り去ろうとする。計測不能でモニターの赤ランプが明滅し、ピーピー耳障りの音がする。しばらくすると、看護婦が現れ、「だめだよ。とっちゃだめだからね」そう言って、モニターを戻して出て行った。そんな攻防が二、三十分置きに数度繰り返され、彼のうごめきは半身を左に向け、片方の輸液を外そうとするまでに拍車がかかっていた。四度目に現れた看護婦は業を煮やし、今度は椅子に腰掛け、「そんなことしていいと思ってんの? みんな大人しく休んでるんだよ。それに心配してるご家族がいるんでしょう。こんなことして恥ずかしくないの? ねえ、どうなの?」ときっぱり迫った。しどろもどろの掠れ声の彼に対し、「どうなっても知らないからね」と彼女は言い捨てて出て行った。
 深夜十二時の巡回で、同僚の看護婦は「お願いだから静かに眠ってね。○○さん、もう帰っちゃったよ。朝また来るって」そう言って去ったが、それで老人の暗い反乱がやむはずもなかった。
 明け方、老人のモニターは表示を失い、自力で抜ける針は抜き去っていた。やってきた受け持ち看護婦は、「知らない。もう知らないからね」と言い切った。その時、老人は突然折れた。この看護婦に向かい、泣き言を口にしたのだ。「わたしはずっと心臓病で、肺も悪いし、おまけに糖尿で……わたしは、わたしはねえ……」
 なぜこの看護婦にそれを言うのか。堂々の人生を送ってきたあなたが、なぜ許しを乞うように言うのか。
 僕は天井を見つめながら、「知らない」という言葉の魔力を思った。自立不能の状態で突き放されたようにこの言葉を聞くと、泣きじゃくる幼児が蘇る。そうなれば人は立つ瀬を失い、底なしに滑り落ちる。
 功罪はともかく、この時から老人の大きな嵐は去って、騒ぐ力を投げだしたようだ。もっとも、纏い付くものを取る行動は残って、その後左手を繃帯で厚く巻かれていた。こんな夜を越えて、老婦人を怯えさせたあの日を迎えたのだ。

 その日、老紳士はいつものように透析に部屋を出て、夕方戻ると血圧が下がった。付いてきた皮膚科の主治医と同僚の女医二人が処置をする間に、モニターの心拍数が一挙に落ち、表示が不能になった。小柄な主治医は血相を変えて老紳士の胸を押し続け、長身の同僚はピッチで応援を呼んだ。その男性医師が駆けつけた時は、老紳士は命脈を繋いで昏睡した。すぐさま解った血液の数値で、「こりゃア敗血症でしょう」と男性医師は言った。
 その時点で老婦人と僕のベッドはカーテンで囲まれた。老紳士に群がる人の動きは、異様な気配を醸し、鎖ざされたベッド上の人間の神経を刺激した。深夜十二時前には老紳士の周囲が整えられ、家族や親戚の入室が認められた。部屋に啜り泣きが洩れ、「がんばれやー」と誰かが言う。「いやあ、がんばってるって。もうずいぶんがんばってるって」と奥方が言う。「そうだやなあ、まあ、かずおさんがんばれやー」と誰かがまた言った。この二十分の別れの場のあと、看護婦達が戻ると、今度は堪りかねていた老婦人がカーテンの中で騒いだのだ。
「帰る帰る。わたし帰らせてくださいな。ねっ、もうこんな所にはいられないのよ。おっかないのよ。わたしがいると迷惑だから帰ります」
 こんな時、老婦人の小さな体躯から発せられる声は、驚くほどしっかりしていた。
「だめですよ。大野さんはオペしたばかりでここにいるんでしょう。このベッドからも降りられないのよ。寝ていてちょうだい。帰るって言われるほうが迷惑なのよ」
 年嵩の看護婦は彼女にしては珍しい剣幕で言い放った。もう何かの一線を越えたように、まるで引き下がらず、それどころから身を起こそうとする老婦人に対し、看護婦は押し問答を打ち切り、患者の腕をベッド柵に拘束した。やがて看護婦達も立ち去り、静けさが戻った部屋に、老婦人の声だけがした。
「ほれ、まいちゃん、鋏をとってこいや。ちっとも言うこときかねえなあ。まいちゃんってばよお。早く鋏を持ってこいや。これを切って、ささっおうちへ帰ろう。せっかく遊んでやったんだに、言うこときかねんじゃあかなわねえな」
 時に名を呼び、話しかけ、はっきりと私語する。眠りは訪れず、尽きることのない妄想のやりとりが闇の時間を埋めてゆく。部屋の様子を見に来た顎髭の看護士がわざとカーテンの側の立つと、老婦人は「じゅんちゃんなの? ほれっ、早くこいや」と中で呼ぶ。看護士は足音を殺して部屋をでた。この時から老婦人はこちら側にうまく戻れなくなった。

 七月十七日(火)
 昨日の午後、久しぶりに青空が出た後、また一面の雲が窓を塞いだ。誰かが地震よと声を上げるから、注意を払うと確かに建物が揺らいでいる。「新潟で地震だってさ」とテレビを見ている患者が言った。
 今日は朝から雨の線条が窓に見える。リン、これでこの一文を締め括ろうと思う。ここに登場しなかった人物も多い。それは釣り糸や釣り針を代えれば、別の物語が釣れるということかもしれない。
 入院のたびに思うことは、路上を往来する人達よりも、行き止まりで剥き出しの状態の人達が、一つ屋根の下に居合わせる。それもなにやら旅情が結ぶ旅先のことではない。病の力が此処に引き寄せ、ある段階を踏めば、それぞれの人生に帰って行く。やはり特別な場所だ。
 老紳士はあの二日後、二十四時間の透析ができる病棟に移っていったし、老婦人は僕が大部屋に移ってから、地元の病院に移っていった。
 彼らの記録は、彼ら自身に知られることはない。あの部屋を通過する半分の人達は、そんな空白を持つだろう。偶々システム・ベッドがあの部屋にしかなく、そこに寝る僕は僅かな日課を済ませば冴え冴えとした意識で天井を見つめる他はなかった。その頭に彼らの生活の断片が焼き付いたのだ。明日此処を出る僕は、それを書き出さねば、退院後の一歩を踏み出せぬほどの強さで。
 人は本当に生まれて老いて、病を得て死んで行く。そしてこの時代、人は用心してかからないと「終わる自分」を実現できない。

 何処にか祭り囃子は響くらん帰路へ導け古里の笛
 一一一七号室にて

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2013年12月18日 (水曜日)

明滅の町

     明滅の町

 草臥れた背広姿の男が夜の駅に降り立った。なぜこんな時刻にこの駅にきたのか、男には分からなかったし、自分がどこに向かおうとしているのか思いも及ばないことっだった。駅舎はがらんとして人気というものがない。一緒に降りたはずの乗客も駅員の姿もないが、あれこれ詮索する気が起こらない。歩きだすと、足許に一匹の白猫が付いてくる。ああお前か、と男は呟いた。男は自分の老いの道程に家族を設けていたが、そこに戻る自分というものがはっきりと掴み取れなかった。
 駅の外は乳白色の霧が立ちこめていた。霧の向こうにそこかしこネオンが鈍く耀き、前方に続く街路灯が遠近感を生んでいる。静けさはさらに深かった。車や人の往来がまるでない。だが、ここを行くのか、と男はまた呟いた。霧の夜に踏み出すその都度、胸が塞がりそうに息が詰まり、衰えた躯に灼けるような痛みが湧いた。諦めでも誇りでもなく、この躯で生きてきたのだと思った。この躯でずいぶん遠くまできたものだと思った。
  躯を引き摺るように道路の真ん中を歩き、やがて進む方角を占いに大通りの交差点に立った時、男は首の付け根に激甚な痛みを感じた。同時に、自分に纏わり付いている見えない何本もの縄を感じ、それらを払い解こうとして、ふとまだ足許に付いてくる白猫が目に入った。それが癇に障ったのだ。こいつを掴み出せ、猫を追い出せ、と男は喚いた……
「猫なんかいませんよ」青年医師は甲高い声をだした。「Oさん、それより動いちゃ駄目ですよ」老患者の鎖骨下静脈にルートを留置する処置中だった。同僚の女医二人と数人の看護婦が老人を押さえつけていた。
 Oは他の病室から隔日の透析に階下へ降りていた。それが血圧の低下で一週間前HCUに来た。彼の急変以来、その都度同室の老人達は顧みられなかった。彼らはOの枕許にちらっと目をやり、心リズムを測定するモニターの乱れや、垂れ下がる管の群れと輸液ポンプが日増しに増えてゆく様を眺め、さほどの感慨もなくまた眠りに落ち、鼾をかいた。
 中心静脈路にルートを確保した青年医師は、電子カルテを覗き込んでいた。一つの数値に注目した。「これ、いつの検査?」誰へともなく問うと、「夕方の分ですよ。その数字はどうですの?」中堅の看護婦が相手をした。「こりゃ敗血症でしょう」青年医師が呻くように言い、抗生剤や高圧剤投与の指示を済ませた。そこへ移動のX線撮影機が運び込まれ、室内には技師と患者だけが残された。
 それから放心したような時間が流れ、次に看護婦がOの血糖値を計りに来た時だった。「痛いよ。やだよ。やめろよ」とOの声が炸裂した。他の看護婦が駆け寄れば、その分大声で言い立てる。「何するんだよ。何をしたんだよ。何もするなよ。来るなよ。触るなよ」どこからそんな力が湧くのか、彼は近づく者を恐れ続けた。「T子ー、M美ー、こいつらが何をやるか見ておけ。ほら、見ろよ」終いにそこには居合わせぬ家族の名を呼んだ……
 男は歩道の縁石に尻を載せてぼんやりしていた自分に気がついた。体内のどこかに不当な扱いを呪う念力が蠢いたが、それが何なのか見当もつかない。ただ、夜霧の底から押し寄せる乾いた寂寥が躯を包んだ。それに耐えて腰をあげると、前方にラジオ局の文字看板を認めた。ああ音楽だ、と男は口にした。ふらふら進んだ。ああ音楽が聴きたい……
 Oがラジオラジオと言い出したのは消灯を過ぎていた。部屋持ち看護婦は、「だめよ。眠る時間よ」と答えた。Oはラジオラジオと言い募ったが、彼女はだめを通した。その直後、Oの内部で何かが切れた。彼女が部屋を出ると、Oの右腕は治療のしがらみを取り去ろうともぞもぞ動いた。計測モニターの赤ランプが明滅し、ピーピー音が鳴った。戻った看護婦は、「そんなことしていいの。みんな休んでるんだよ。心配してるご家族にだって恥ずかしくないの」と迫った。「知らないからね」と彼女が言い捨てた時、Oは突然折れた。「わたしはずっと糖尿病で心臓病で、腎臓も肺もやられてね。おまけに靴擦れで来たら、この態なんですよね」それは許しを乞う調子で、底なしに滑り落ちる告白だった。
 三度目に心リズムの測定不能でモニターが鳴りだすと、看護婦の知らせで女医が駆け込んで来た。彼女はOの胸許に馬乗りになり、心停止を引き戻そうと躍起になった……
 ああお前か、と男は不意に思い出した。入院の朝、路上に横たわっていた猫の死骸だ。傍を通った時、白猫が車に滑り込んで来た。あれ以来お前が居て、お前と道連れでこの夜霧を行くのか、と男は思った。だが、記憶はそこで途切れ、耳底を掠める家族の泣き声を、夜空を巡る幻の木霊のように感じた。
 夜の土地は川が二つに隔て、前方に橋が伸びている。風がなく、川も霧も動いていない。対岸にネオンの明滅があるが、それが誘う訳ではない。だが、男は橋を渡った。

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2013年12月16日 (月曜日)

夜汽車

     夜汽車

 ある夏の夜、窓を見ていた五つになる萌は、急に振り返り、「ママ、お兄ちゃんが帰ってきたわ」と叫んだ。「汽車が空から流れてきて町に降りたのよ」「ええ、私も汽笛を聴いたわ」母親は答えると、夫に懇願した。「あなた、行かせて下さい。あの子、きっと待ってますわ」「私には何も見えないし、何も聞こえない」夫は悲しく言った。「でも、来たんだね。わかった。私は萌を守ってこの部屋に居よう。お前は私の分も会ってきておくれ」
 数分後、母親はざわつく神経が指し示す通り、町へ向かって車を走らせた。夜は褐色から黄色に染まり、それを過ぎると霧がたちこめ、違う時代の町並みが現れた。市街まで一キロ地点で、サイドカーに乗った二人組の憲兵が車の前へ廻りこんだ。降り立った憲兵は、「この非常時に何事か」怒鳴って車を覘くと、母親の後ろの席に老軍人の姿を認め、「失礼致しました」と敬礼をし、再び霧のベールに紛れ去った。母親は背後にお祖父様の守護を感じ、ミラーに頬笑んだ。やがて町の大通りに出現した汽車の傍で車から降りた。
  黒い車体は光る靄に包まれ、永い旅路にあっても錆一つなく、連なる窓々の灯りに、乗り合わせた幾時代もの人々が仄見えた。母親は絡みつくような調べに誘われ、二十両編成中程の昇降口に六角形の手風琴を奏でる黒マントの男を見つけた。「八つになる子供を知りませんか」母親は大声で問うた。「名は海と言います」「その年頃の子は何人か知っておりますが、さてどの子やら」男は手風琴を放さずに答えた。「まあお捜しなさい。先ほどこの停車場に縁の者が幾人も散歩に降りましたっけ。どうせ汽車はあと二十分でまた出発します。遠くにいるはずはありません」男が言い終わらぬうちに、母親は脳裡に滑り込んだせせらぎの響きに導かれていた。
 町の中央部に細く蛇行した流れを、お祖父様がよく口にした。一つの悲劇を呑みこんで、すでに過去にしか流れぬその川を母親は知らない。だが、川が秘めた力は、かつて横たえた数多の死の轢音を宿して、人を、先の世を、そして母親を呼んだ。息も荒く駆けつけ、その川辺に二人の子供を認めた時、母親は名を呼びそうになった。だが、二人のやりとりが頭に忍び入るとよろよろと進んだ。
「お家はどこなの。母ちゃんと父ちゃんはどこに行っちゃったの」弟がべそを掻いている。「わかんねえ。俺だってここに来れば母ちゃんがいるって信じてたんだ」兄は大声を上げた。「ここが俺達の生まれた町なんか」苛立ってあちこち走った。「あんた等もなのかい」そこへ霧を分けて中年婦人が声をかけてきた。「あたしも見つからないんだよ。家の人も倅もさ、あの時からはぐれたきりなんだよ」
「さあ皆さん、汽車に戻りましょう」母親はその場に歩み寄りながら励ますように言った。「車掌さんが待っていますわ。会いに来た方たちはここじゃない、どこか別の場所にいらっしゃるのよ」泣き始めた兄弟と婦人を両腕に抱えて込んで、母親は来た道をとって返した。やがて一足毎に、同じ汽車に戻る白い人達が見えだした。それが一団となった時、一人の少年がすうっと群れを離れ、古寺の門前に蹲る老人の許へ近づき、何やら話しかけた。
「お坊様、汽車が出る時刻ですよ。さあ参りましょう」そう言う少年の顔を、痩せこけた老人はぼんやりと見上げた。「はて、そなたは」須臾の間、老人は思い、思いは一つの面差しを釣り上げた。「おお、そなたは。千年の夜を越えて、この地で巡り会うとはのう」
「はい。私のことがお判りですか」少年が手を伸ばすと、「忘れるなどできようか」老人は涙ぐみ、「さあさ、汽車へ」少年はその痩せさらばえた躯を支え起こし、言葉を継いだ。「この便でお見掛けした時、お声をかけるべきか迷いました。あなたは変わった。私も変わりました。これより先の旅はご一緒致しましょう」こうして白い一団は再び動き出した。
 客車のおちこちの昇降口から白い人達が乗り込むと、母親は先程の黒マントの男を認め、「だめでしたの。見つかりませんわ」駆け寄って言い募り、涙をこぼし、涙の重さで蹲った。その時、頭上で子供の声がした。「ママ、会いたかったよ」顔を上げると、黒マントの男の姿は崩れ、海が小さく白く立っていた。「坊や、ごめんね。私があなたを逝かせてしまったのよ」思わず縋り付く母親に海は首を振って言った。「違うよ。ママのせいじゃない」その声に、東の空を見る窓々の声が重なった。「ごらん、火だよ」遠く火の玉が降り、黒い機影がかいま見える。火は地に落ち、赤い連鎖を作り、炎が海となって急速に押し広がる。「ああ、この町は焼かれるんだ」その声と共に、列車の先頭から蒸気が噴き出し、汽笛が鳴った。「私も行くわ」車体が軋めくと母親は叫んだ。「だめだ。この旅は僕のものだよ」海も発車の轟音に負けず叫んでいた。「ママは悪くない」後退りする母親の前で、夜汽車は光を帯び、うねるように空に昇った。

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2013年11月30日 (土曜日)

浅き夢見し

浅き夢見し

 夢に囚われて叫ぶ、喋る、泣く……私の眠りはじつに騒々しい。そんな時は大概一続きの夢を見ている。子供の頃からそうだった。
 夢の世界だから愉しく、また怖くもある。夢に滑り込めば、空を飛ぶ能力をもつのは愉快なことだ。跳び箱の踏切板を蹴るように、故郷の坂道から跳び上がり、滑空する。だが、スーパーマンが事件の空へ翔けるのとは訳が違う。頭上の雲雀のように宙に留まり、暫時流れると、何やらワンコイン分で着地する。
 怖いのは、夢の国でいつも追われるからだ。何者かが襲撃してくる。禍々しい気配に戦慄する。急いで逃げねばならない。だが、徐々に追い詰められ、断崖絶壁が行く手に迫り、逃げ場を失う。それはもうすぐ背後にいる。私は思わず声を上げ、夢の帳を破る。むろん、悩ましい夢もある。しかし、私が迷い込む国の人々は、こちらの世界の人と比べ、少し身体特徴が異なる。私はまたしてもわっと叫ぶ。
 それでも読み切りふうの夢は救いがある。くたびれ果てるのは一続きの夢だ。鉛のように重くのしかかる睡魔に縛られ、夢の国に滑り落ちる。そこがどんなに見覚えのある場所でも、また馴染みの顔をした人たちの間に紛れ込んでも、私が居るべき世界ではないとわかってくる。すると、格別物語が進行せずとも、その夢魔から自分をもぎ放したくなる。眠りを破るしかない。だか、せっかく引きもいだ眠りに掴まり、また元の場所に引き寄せられ、続きの夢に呑まれてしまう。三度四度と繰り返す。最近では、夢という回路を通じて、多重の世界と交流できるのだと感じている。また、この回路は私が住む世界の時空を超える霊的な通路でもある。遠く離れた人の消息を夢で知ることも間々あるものだ。
 きみの夢もそういう夢だった。
 ある夜、私はもう馴染みの重たい眠りに沈み、夢のなかで懐かしい気配に出会った。最初その薄暗がりの世界、しかも壁の向こうに誰かが居るのはわかったが、まさかきみがこの場所にやってくるなどと思ってもいなかったのだ。目を見開き、耳を欹て、感覚を集めると、漲っている気配はきみのものだと確信できた。この夢の特徴は見ることも声をだすことも許されないことだった。が、確かにきみは台所仕事をしている。それを見ようとするうちに一度夢の殻が破けた。
 枕許の灯りで時計の針を読むと朝の三時。目覚めの混乱気味の頭に、別れになった二つの記憶を呼び込んだ。
  あの終わりの日々、きみはもう私の許にはいなかった。仕事場で見かけるきみは、現実と折り合いをつけることができない魂の修羅に衰弱し、いつも蒼ざめていた。きみの夜は昼の時間からもたらされる苛立ちで荒涼としていた。その自分を持てあまし、きみは何ヵ月明滅の世界を車で彷徨ったことだろう。戻るのは明け方、それを私はただじっと全身で感じているだけだった。
 因果な星の巡り合わせは、きみを追放する団体にきみも私も所属し、そしてきみに宣告するのが私の役割だったことだ。終止符の引き金を弾いた夜、きみは泣き、言い募り、そして出て行った。それっきりだった。
 数日後、きみの車が大破していることを知った。運転の上手いきみがそんなにも動揺していたと思えば切なかった。安否は知れない。思い立って、きみが資格取得に通っているはずの病院にゆくと、きみは遅刻気味にやってきたところだった。きみは一言二言気丈に言い放って授業のある棟へ去っていった。それが私の視野に入ったきみの最後の姿だ、
 それから二年、きみは私が住む街から去り、異郷で漸く自分を生かす場所、そして人と邂逅を果たしたようだ。そんな消息は、小鳥の囀りよりも密やかな具合にもたらされる。だがきみに対する、いや、あの日々に対する悔恨とも愛惜とも違う、名状しがたい憐憫の情だけは残り続けた。もとよりこの世界での再会はもうあり得ない。
 それがあの夜の夢の背景にあって、めったにないことだが、私はときめくようにまた眠りに落ちた。落ちた場所は、やはり一続きの暗がりだ。が、台所のほうにもうきみの気配はない。瞼が張りついたような眼で気配を探ると、きみは押入を開け、寝具を取り出していた。ああ、今夜だけは泊まってゆくんだな……そう分かると、胸に迫るものがあった。
 それからきみは私のところに来て、両掌で顔に触り、小声でゴメンネと口にした。そのきみを見ようとむりやり瞼を引き開けた途端、私は夢の世界から弾き出された。眠りはもう戻らなかった。
 外で小鳥が啼きだし、窓のカーテンの隙間に朝の光が増してゆく。清々しさと痛みに揺れながら、私は時の動きを感じ続けた。十年という歳月の重さが蘇る。私はその時悟ったのだ。きみがずっと言えずにいた、同時に私もまた言えずにいたサヨナラを、きみは夢路に立って告げにきたことを。

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2013年8月18日 (日曜日)

『故郷よ おじゃれと招く』《Ⅹさらば小千谷》

     さらば小千谷

 父がいた冬、母は大鍋で鱈を煮付けた。父は鱈の頭を湯を張った丼にいれ、部位を箸で分けては啜り、一合の酒を呑む。皿に鱈の骨が山を作ると、丼の汁に舌鼓を打つ。その父を喪って二度目の冬、東京から戻った兄は、手炙りの石油ストーブに水を張った鍋をかけ、鱈を煮た。生煮えのごとき白身に少しの醤油で食う。「弁当にも鱈だったな」と熱燗で顔が火照ると、思い出話に紛らせ、「母ちゃん、真二と一緒に出てこいや」と兄は言い、それに「おら、やだのう」と母が答えた。故郷に残った二人を兄が夫婦の新居に呼ぶ。それは母も承知だが、ぐずぐず尻込みする。「やだたって、どうもならんろが。今しかねえんだて」兄が声を荒げた。「あの人がいねえんだすけえ、真ちゃん、どう言ってみようもねえがらの」後で母は私に言ったが、それは自分に言い聞かせたのだ。とはいえ躰が小千谷からもがれる運命に、来る夜来る日合点がゆかぬ。それでも一月二月、段ボール箱を集め、手探りで物を詰めた。だが、「大概は棄てろ」という兄の意に添えば、同居のために運び出す物など見当もつかぬ。殊に父母の歴史につながる品は、「へえ何の足しにもならねえがら」と母が踏ん切りをつけるしかなかった。
 三月の頭、その片付けに、東京のフィルム会社にいた姉が、兄と一緒に戻った。台所で根菜を刻み、豚汁を煮る母の愚痴を、忙しなく摘み食いしながら傾聴に及ぶのが姉の役割で、兄はまだ雪が堆い裏に、家具や古道具を運び、火をつけた。仏具を残して、戦前からの仏壇を持ち出す兄に目が合うと、「しっ」と口に指を立て、台所を伺った。やがてまた兄と姉が戻ると、里を鎖ざした雪が溶けきり、四月になっていた。
「ほれ、へえ発つんだと」母はその朝、父の遺影を抱いた。「父ちゃん最後らすけえ、隣組ん衆に挨拶に回ってこうて」
「あーれ、切ねえ」手伝いに来ていた原のあんちゃんの嫁さんが甲高く言った。「そっげテレビドラマみてえなことしねえでいいねけ」
「ほっけえ」母はしおしおと従う。「そっじゃ父ちゃん、もうちっとここにおるこってそ」
「ああ、行ぐんだってのう」そこに隣組の衆の方がやってきて、「良い日和になったのう」百川の婆さまが言った。櫻井さんも「とうとうこの日がのう」長谷川さんも「顔を見たくてのう」外山さんも「ああ、ほんに」、口々に言った。
「まあま、おばあちゃん、おっかさま、じさま、よう顔を見せにでてきてくんなさったこて」母はぱっと顔を明るくし、炸裂するような口調で応えた。「有りがてえて。ほんにこれまでみーんなに良くしてもらっての」
 母はこの地で、この家で、異腹の二人の娘を育て、自分の長男を亡くし、後三人を設けた。戦後の暮らしも、母の脳裡にのみある幻燈の絵でしかない。私はもしもと思うのだ。自分が躰に事故を起こさねば、この家の姿はまだ別な形があり得たのだろうか。
「そっげんことねえ。おらたちこそ、ここんとっつぁまにゃ世話になったこて」と櫻井さんが言う。「おお、なんとしても名残惜しいこんだ」と外山さんが言う。「だども、親が倅に呼ばれるってなあ目出てえこんだ」と百川さんの爺さまが言う。「そうらの。そう思うこってそ」母はそれを諾い、「ああ、そうらこて」と百川の婆さまが纏め上げる。
 そこへN銘醸のコンテナトラックが登場した。この車輌で酒壜を運ぶのが原のあんちゃんの仕事だ。平素起き抜けに冷酒を呷り、勤め先で原酒を味わうに至って漸く運転の準備が整うとか、しかしこの日、酒気を帯びぬ皮ジャンにサングラスのあんちゃんは、颯爽とし、ピリピリした。松葉杖で路上に出た私をトラックの助手席に引き上げると、「真ちゃん、酔い止めに呑んでおけや」あんちゃんは小瓶を差し出した。「ジョニ黒だぞ。味わえや」「あーい」私が数滴口にすると、後部座席に乗り込んできた兄がその壜を奪った。「いやあ、やっぱし黒ラベル」と喉に音を立てる。兄がコンテナに積んだ荷はひどく少なかった。「そいじゃあ、ねえさん、一足先に出るすけえの」あんちゃんが運転席から叫ぶと、「ああ、頼むてえ。わたしら後で電車で追っかけるすけえ、頼むのう」母は姉の腕を堅く掴むと大声で応えた。トラックが進み、入れ替わりにタクシーが路地に入って来た。
 私は余りの呆気なさに愕然とした。車窓の両脇に古りて雪焼けした家並が後退りを始め、左背景の丘陵、その腹に呑まれた秋葉神社と高杉が流れ出す。だが、それらは泣かぬのだ。こんなにも私の心は慟哭するものを、私を喪う故郷は、なぜ私に向かって雲を呼び、稲妻で四囲を切り裂かぬのだろう。なぜ早春の陽射しは平然と雪国に注ぎ、野山の緑はなぜ私と無縁に萌え出るのか。
「はい真ちゃん、ここらで一曲お願いします」と原のあんちゃんの指名がかかる。私は子供の時のように唄うしかない。「ハアー泣くな嘆くな今別れてもヨ」すると兄が「アリャサ」と合いの手を入れる。私はもう帰らぬ故郷に向かって声に出す。「死ぬる身じゃなしまた会える

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2013年8月17日 (土曜日)

『故郷よ おじゃれと招く』《Ⅸ新巻鮭》

     新巻鮭

 半年は雪の中……子供の頃小千谷の暮らしをそう言った。十月の末、雨が霙に変わり、父は冬支度を口にする。いつも十一月三日が一家総出の作業日だった。庭の塀を分解し、二階の物置に運び上げ、代わりに柱と板を外に下ろし、玄関の雪囲いをする。手拭いを被ったおばちゃんがリヤカーで大根を運び、引き取った百本を軒で干すのもこの時期だ。寒風と天日で大根が萎びた頃、白菜や野沢菜と一緒に大樽に漬け込む。その日は家の裏で母が洗い、父が樽に敷き込み、塩をふった。それらは十二月の末から朝な夕な卓袱台に現れる。家族の前だけではない。客の持て成しは漬け物だ。老婆は沢庵の皮、野沢菜の茎の薄皮を剥き剥き、四方山話に憂さを晴らす。だが雪解けには、さすがに酸味が入った。母は野沢菜を油と醤油で煮て「ニイナ」と称した。これを飯に載せ、かき込む。
 キリストさんの誕生日と仏壇との絡みが、どうも腑に落ちぬのが当時の私だった。雪は野山を飾り、里を埋める。この頃、蜜柑と林檎が箱でもたらされる。兄は林檎の皮剥きの名手であり、母はそれらをひっくり返し、傷物だけを食った。やがて五升の餅が届き、引き延ばされた数枚を母が不格好に切り分ける。端っこを食うと正月の味だ。かくて母と小豆を買いに町へ降り、夜なべに七輪で煮、年の暮れを迎える。
  雪中の大晦日は特別な日だった。午前に大掃除を終え、その昼、台所に父が座り込み、新巻鮭を捌く。入念に磨いだ年期物の出刃で、三枚におろす。身は切り揃え、大皿に盛る。骨は母が昆布で巻き、干瓢で絞める。頭は細断する。これは粗と共に膾に投入。二番目の姉は膾から眼を摘まむと狂喜した。爾来「魚の目は泪」の句にある種の感慨を催す。次に水章魚が俎上に乗り、足と頭を刺身に、或いは酢で締める。辛抱強く正座している私の口に、父は鮭と章魚の切れっ端を放り込む。内心、美味感涙。躰が冷えぬはずはない。竈の上方、煙出しから寒気が降りてくる。雪中の台所はさながら天然の冷蔵庫だ。
 昼なお暗い寒燈下、夜は侘びしさに包まれる。それが大晦日一変する。屋内の燈火は日没より点り、年を越えるまで消えない。次男の父は借地に建つ二階屋を手にいれ、先妻と二人の娘と住んだ。その人を結核で亡くし、後妻の母との最初の男子を高熱で喪った。熱で泣き止まぬ。負ぶって外へ出ると泣き止む。T先生が注射を打つとそれっきり……母の繰り言だ。だから兄が元旦に産まれると〝年玉や四十の吾に男の子〟と父は詠んだ。腹違いの姉達が集団就職で家をでると、その兄は父母の期待の糧になった。台風の停電下、家の周囲を見回る時も、Xマスツリーと称し、小杉を伐り出し、大火鉢に立てた時も、兄は父の相方だった。当然、祭事儀礼のやり方を兄は父から見様見真似で受け継ぐ。注連縄を神棚に張り、秋葉神社の宮司から授かった〝天照皇大神宮〟の札を納め、一対の瓶子に御神酒を入れ、折った和紙を木片に挟んで立てる。やがて蝋燭を点すと、神棚には焼き立ての鮭、一の切れが、仏壇には炊き立ての白米が上がる。むろん家族の食卓にも鮭と飯、そして煮染めと肉汁の椀だ。台所の床下から古新聞に包んだ根菜類を取り出し、母が刻み、醤油で煮たもの。豚の脂が浮かび、肉片を噛むとトロッとする。「母ちゃん、これ何が」「章魚の皮らこて」……子供達は満腹で〝紅白〟を見出す。母はそれから昆布巻きを煮、雑煮の具七品を刻む。刻みつつ母は一人で歌った。
  思えば、美智子さまのご成婚は孝チャンの家で見た。昔は鍛冶屋で、その土間は遊び場だった。或日、板間に上がると床板が外れていた。どの家も床下に物を置く。その穴に落ちた私は顎から血を出し、町内の避病院に担ぎ込まれ、二針縫った。お陰で小学校の入学写真は顔が繃帯でグルグル巻き、〝恐怖のミイラ〟のようだった。それもあって、「テレビを見せて下さい」と訪問する回数は孝チャンの処が一番多かった。「邪魔なんかならんこっつぉお。正座して見てるがらてえ」と評判だが、夕食を囲む横に、余所の子が数人座敷童みたいに居るのだ。父はそれをどう聞いたか。昭和三十五年の夏、家の床の間にテレビが来た。だからそれ以後の思い出は、テレビ番組に結びつく。
 年の瀬〝紅白〟の大トリが歌いだすと、父と兄が二年参りに腰を上げる。明ければ雪の段を踏んで新聞配達が物音を立てる。それを取りに父が起き、母は竈の火を焚く。元旦の一声は「はよ来いね。餅がみんな溶けるねけ」である。後年、焼き餅を雑煮に入れると知って驚いた。母は一人五箇ずつの餅を煮る。最初は雑煮で食い、次に小豆、餅の鍋から三つ目を掬う頃は形が怪しい。そのドロリとした上に黄粉をかける。口が甘くなると雑煮に戻り、去年の皿の鮭を囓る。吹き出た塩が旨い。それが済めば年始客が戸を叩き、「腹へったあ」と口走ると、酒盛り支度の母が「正月は夜まで食わんがら」と怒鳴った。

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2013年8月14日 (水曜日)

『故郷よ おじゃれと招く』《Ⅷゴンシロウの犬》

          ゴンシロウの犬

 秋葉神社の右側の坂道に鉄工所とゴンシロウと呼ばれた大工の家と義足の表具屋の建物があった。この三つの家それぞれに犬を飼っていたが、子供の頃、ゴンシロウの犬が一番苦手だった。躰が大きくギョロ目で、無愛想なゴンシロウその人も怖かったが、引き綱の端っこで殴られながらも、目にするものの全部に襲いかかろうとする秋田犬は恐ろしかった。近所の子供達で神社の周辺を遊ぶとき、犬を連れ回すゴンシロウに出食わすまいと、いつも祈り合った。所が何の弾みか、私は子供達の群れをはぐれて一人で丘に登る坂道を歩き、ゴンシロウとその犬に遭遇した。私はまだ小学校にも上がっていず、小さく弱虫だった。仲間を追って坂道を駆けてゆき、不意にゴンシロウとその犬が目の前に現れたとき、私はぴたっと立ち止まり、身を硬張らせた。震えが止めどもなく体内から湧き上がる。この怯えが、犬を吠え狂わせるのが分かった。同時に注がれる暗い眼差しで、怯える私をゴンシロウが憎むのが分かった。犬はぐいぐい吠え寄り、ゴンシロウが身を仰け反らせるようにして綱を掴んで、引き摺られる。次の瞬間、ゴンシロウは引き綱を離してしまい、犬が飛びかかり、私は泥道に倒れ込んだ。「おらおら、やめれっ、へえじゃれつくなや」とゴンシロウは大声を出し、重たい犬と私を分けると、「おめえ、おらんどこの犬、かまうなっや」と喚き、二三度振り返り、私を残して、犬を引き引き、また綱でバシバシ殴りもし、丘の坂道を登って行った。
  ゴンシロウの上の表具屋はナカマチと言って、マー坊の父ちゃんが仕事場で木を削っていた。マー坊の父ちゃんは戦の傷で片脚だったが、家では傍に左の義足を置き、それを付けることなくひょいひょいと身軽に動いた。この人が丘にやってくる象の話をしてくれた。「この丘には古い世の戦で死んだたくさんの者たちの魂が棲んでるんだ。あそこでおらたちの里をずっと守ってくれてるに違えねえが、年に一度はその魂たちを慰めて遣らなきゃならねえ。時期は梅も桃も桜も一遍に咲く春だ。里の者は呼び合って丘に登ってゆく。もう誰も覚えておらぬ昔のことだ……」マー坊の父ちゃんは煙管に煙草を詰め、二三回煙を吐いた。「ある年の春、下の町から白装束に笠をかぶった男達が長い列を作って丘に登ってきた。一団の前を行く衆は何かを叫んで花を撒く。後ろを守る衆は鈴を鳴らし合って進んでくる。この列の中程が膨らんで、金色の帯を纏った坊さん達が大きな生き物を連れて来る。何しろ此処いらじゃ目にすることもねえ生き物だ。後になってあれは象だ、真っ白い象だと分かった。大事なのはそんな象を連れてこなけりゃ鎮まらねえほど、丘の霊達が騒ぎ狂う時代が来ちまったってことだ。男達と象は岩むらをめぐって丘を降りてゆく。それからだんだん分かったんだ……この一団は岩むらの魂を鎮めにやってくるだけじゃねえ、人に悪さをするものや、へえこの世界から立ち去りてえと願っているものを、一緒に連れて行ってしまうんだ。そのことが分かるまであの家の誰々が居らなくなったと大騒ぎしたもんだ。何のことはねえ、次の年の一団にその者が加わって大声で花を撒いてるんだ」
  マー坊の父ちゃんにその話を聞いたときから、子供達はその一団を見たくて、うずうずして丘に登った。恰度梅も桃も桜も一遍に咲く時期だったから、見逃すまいと何度も何度も丘に登った。みんなと居ると何も目にできないが、やがて確かに白装束の男達と象に出会ったと言う子がいた。いや、白装束の男達を見たが象など連れていなかったと言う子がいた。いや、象はいたが竹を組んで白い紙を貼った代物だと言う子もいた。その朝晩、どんなに避けようとしてもゴンシロウと秋田犬に出食わさぬはずはなかった。出食わせば誰かが怯え、ベソをかき、ゴンシロウは次第にそれを面白がって、益々犬をけしかけ、吠え寄らせ、「おめえら、おらの犬、かまわんでくれや」と声を張り上げた。誰にも口にださぬが、私達は心の中で犬殺しをやってのけた。ゴンシロウにだって石を投げつけていた。
 ある夜、私の夢に白装束の男達がやってきたのだった。一団の振る舞いはマー坊の父ちゃんに聞いた通りで、私の夢は天から降りこぼれる銀色の光に溢れ、丘の木々が放つ花と先ぶれの男衆が撒く花で緩やかな花吹雪となった。目を凝らすと、白装束の男達に混ざって見知らぬ里人の姿がある。見知らぬ齢を取った男や女の顔々がはっきり見える。一様にこの世では浮かべ得なかった笑みを明るく湛え、ホウホウと何やら楽しげに叫び、踊り歩むのだ。その列に一匹の犬が紛れ込んでいた。それがゴンシロウの犬だと分かったとき、私は目が覚めた。胸が何か高鳴った。
 まだ丘の麓が夢路にあるような薄暗い朝だったが、私は丘の小道を駆け上った。行く手にゴンシロウの姿が見えた。私を認めるとゴンシロウが大声で言った。「おめえ、おらどこの犬、見なかったけっ」

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2013年8月13日 (火曜日)

『故郷よ おじゃれと招く』《Ⅶ故里のパレット》

     故里のパレット

 いくつもの時代があの丘を吹きぬけ、いくつもの星があの空をめぐった。
 いくつもの季節があの丘を追いかけ、いくつもの花があの日々を埋めた。
 それは遠く、優しい、いのちのなかの、帰り来ぬ夏の夢。あの丘は大きな船だった。ぼくらを夢の国に運ぶ船だった。
 だが、故里の十一月から四月、丘の木の葉は絶え間なく揺れ、すべてが雨に濡れそぼち、雨がとめどない雪にかわり、丘に続くぼくらの小徑は厚塗りの白さにとざされる。ぼくらはいつもうずうずして、「今は見えない。だけど、もうじききっと……」と言いあって、白さの下の小徑を夢見あった。
 やがて遅い春、風が光り、一面の白い衣を剥ぎ取り、野面が緑のベールに覆われると、丘がささやき、招くのだ。
「さあ、子どもたち、やっておいで」
 すると、ぼくらは「時が来た。今しかない。今だからこそ」と言いあって、緩いカーブを描く小徑をたどった。
 それは照る日のように眩しい、帰り来ぬ日々……それらの日々、鳥のようによぎった息衝きは、いつしかいのちのなかで消えてしまった。
 だが、あの丘の、あの日々の子どもたちが、泉のように変わらぬ姿でそこにいて、煤けたような顔で笑い声を上げれば、心は涙のようにもう丘に帰っている。
     ※
  上が小学六年、下が小学三年、近所から呼び集めるとぼくらは五人になった。タカにマー坊、そしてぼくとヤッちゃんにツネ也……ぼくらは新潟の片田舎でいつも一緒だった。
 ぼくらは他の世界を知らず、ささやかな遊びに夢中になり、野山を駆け回った。お気に入りが、丘の小徑と、その横に広がる斜面の林だった。
  丘の斜面は草深い段々で、灌木から伸び出るように大小の杉と、櫟や桐が立っていた。この杉群に二股の幹があった。斜面で一番太い杉が大人の背丈くらいの所から二股に分かれて、枝を伸ばし、空に突き出ていた。その姿がみんな大好きで、いつもこの二股杉に集まり、そしてそこから飛び出していった。
 二股杉はずいぶん老いていた。カサカサの幹からは、所々茶色い樹皮が細長く垂れていた。ある日、マー坊がその樹皮を一本引っ張った。最初は細いが、しだいに広く深く、テープのようにビリビリ剥がれる。面白さにヤッちゃんとツネ也が手を伸べ、数本引き剥がすと、二股杉の腹のように黄ばんだ木肌がでてきた。
「おい、杉の木が痛がってるぞ」
 タカが言うと、マー坊はハッとして手をとめた。だが、ヤッちゃんは小刀を取り出すと、露わになった二股杉の木肌に、何やら彫りつけた。自分の名の上のカタカナ一文字だと、ヤッちゃんが言うと、今度はまっ先にタカが小刀を奪い、「タ」を刻んだ。ぼくらはあの日、幼心の誓いのように、それぞれが一文字ずつ自分の証を刻みつけたのだ。
     ※
 それを思い出したのは、あの日から十年後、躰に障がいを持ったぼくが、父母の家に戻り、はじめて松葉杖で丘の小徑を昇った時だった。気がつけば、当時の子どもたちはいつしか散り散りだった。消息さえも知れなかった。代わりに、肩を差し出す友が横にいた。
 この日のぼくには、夢の国の入口は余りに険しかった。ぼくは麻痺の足を引きずり、歩みあぐね、大地の威厳に圧倒された。すると、ぼくの沈んだ顔を見て、友はこう言った。
「そんなふうじゃだめよ。足許ばかり見つめてないで、ほらっ、あの空あの木々、周囲をごらなさい。あなたが子どものころ遊び回った場所なんでしょう。帰ってきたのよ。あなたはここにちゃんと帰ってきたのよ。何かの思い出と今のあなたを結びつけるものがあったらいいのに……」
 すると、ぼくの記憶に二股杉が蘇ったのだ。友の肩を借りて林に踏みこむと、老い木が昔の姿そのままに、そこに立っていた。そしてあの日の傷は暗褐色の窪みになり、そう思えば、まだ幾つかのカタカナがうっすらと見て取れるような気がした。
 途端に、時がぐるぐる回りだした。子どもたちの顔がありありと浮かび、そのなかに自分の幼顔も認めた。
「ああ、自分は何ものかに変わり果てたわけではない。ちゃんと過去を生き、その上に基って今を生きている。この二股杉のように自分にも歴史がある」
 その余りに平凡な自覚の復活が、しみじみと胸に来た。よく立っていてくれたと二股杉を撫でた。
     ※
 さらに二十年後、ぼくの障がいは重度になり、自分で車椅子を押すのも覚つかない。そして同じ歳月、故里を離れていたぼくに、古い仲間が声をかけてくれた。中学の同窓会を開くという。これを機に、もう一度あの丘の小徑をたどることができるだろう。
 ぼくの胸は高鳴った。だが車を向けてみると、丘の斜面は伐り拓かれ、かつての段々の林は、見渡す限り雪国の家並みに変わっていた。思わず眼を瞑った。ぼくの瞼の裏にだけ、二股杉の偉容があった。

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2013年8月12日 (月曜日)

『故郷よ おじゃれと招く』《Ⅵ古い記憶》

     古い記憶

 数箇月前、僕は母の消息を偲ぶ写真を手に取った。白髪も嵩が減り、頬が痩け、落ち窪んだ目に力がない。躯の目は懐かしさで写真を舐め、心の目は耐え難い痛みで閉じ切った。それはそうなのだ。自分の至った年齢を思えば、母の顔に落ちた老いの色は、長い辛苦の歳月を潜り抜け、ずっとずっと、刻み続けた命の反映なのだ。そう母の現実を受け止めると、「かあちゃん、よく齢とったなあ」という、その実像と一緒に生い育った感情と、「おれ、かあちゃんと呼んできたけど、ほんとは誰に呼びかけてたんだろう。かあちゃんだったのか……」という、決して満願を迎えぬような体内の澱に似た思いに気づかされる。あんなにもいつも母が傍にいたのに、注がれた母の愛も受けたのに、僕はどうしてこれまで凍えそうな寂しさを持ち続けたのだろう。
 そんな時、ふと思い出したことがある。夢だったのか体験だったのか、今となってはわからぬが、たぶんそれが一番古い記憶として自分の奥底に残り、しかも傷をいじくる幼児のように、僕はしばしばそのがらんとした孤独感と寂寥感を反芻し続けた気がする。
 思えば、五十数年前の雪国の田舎家は貧しくくすみ、夜には燈下だけが明るんだ。室内に暗がりを残さぬ蛍光灯などない時代、天井の電球が放つ暖色の領域を外れると、部屋の四隅には神経をひりひりさせる薄闇があった。まして電球の灯が落ちれば、いっぺんに夜の色と静けさが押し寄せる。昭和三十五年のある日曜日、これで「少年ジェット」が家で見られると喜びをもたらしたテレビもまだなく、父が朝晩真空管のラジオを点けていた頃のことだ。遠い記憶に向かって指折り数えれば、昭和二十九年の秋の夜のはずだ。
 その夜更け、とても小さな僕が家の二階に上がってゆく。まだ歩くことを覚えたばかりで梯子段を昇るなんて危ないのだ。一段一段が僕にはひどく高い。だが、暗がりの床で天井の豆電球を星のように見つめているのに比べたら、上の方の明るさはとびっきりの魅惑だ。それにしても、自分はなぜ暗い床に取り残されていたのだろう。なぜ一度寝かせつけられ、そこに置いてきぼりにされたのか。
  梯子段に立ち向かう僕の耳には、大人達の会話、いや父母の意味不明な声の遣り取りが、不快な軋り音となって往来する。
 僕はわかっていた気がする。僕を拒絶するものが重たい闇となって、この夜の段上りを阻んだから。それでも僕は短い手足をいっぱいに使って、また段を上がろうとした。なにしろ、上の部屋には煌々と灯りが点き、その電球の下には、きっと母がいるのだ。早くそこに行き、母に抱かれたい。抱かれたら、温もりと優しさに包まれて自分は眠るだろう。あそこに母がいる。母の胸がある。はっきりと感じる。ところが、一つの声が降ってくる。
「坊や、へえおっぱいはねえが。カラシぬったすけえな。のまんねえがらぞ」
 それを言ったのが母だったのか父だったのか、判然としない。確実なのは、僕が泣きべそをかいたことだ。二階にたどりつきもしなかったことだ。そして、あざ笑うような闇を張り巡らした壁や天井に圧され、痺れるような寂しさに震えたことだ。
 もう一つ、繰り返し見た古い夢の記憶を思い出す。当時、僕はよく熱を出した。蒲団の下に木製の氷嚢台が差し込まれ、そこから晒し木綿に包まれたゴムの袋が下がっていた。僕は上がりきった体温で居た堪らず、躯が張り裂けそうになりながらも、額の気味悪い氷嚢に耐えて、身じろぎもせずに目を瞑り続けた。そうした直後、僕の脳裡に、決まって同じ救いの風景が訪れることを知っていたからだ。
 それはひび割れた赤い地面だった。僕はさほど高くない上方から、いつもその乾いた地面を見ていた。風の動きも気配の兆しもない、ただざらざらした地表の広がり。ところが、やがて遠くから風景の真ん中に、一筋の水が流れてくるのだ。それが川のようでも、如雨露からほとばしり出た水の筋のようにも思える。水音もしゃらしゃらとせせらぎの響きのようにも聞こえ、ちょろちょろと水路を走る流れのようにも聞こえる。肝心なのは、その地面を見、それらの水音を聞くと、僕の胸の重さは薄れ、息がすうっと淀みないものになり、躯からしだいに熱感が引く。すると、温くなった額の氷嚢は取り除かれ、幾分ざらつく母の掌を感じるのだ。
「へえ、こっで大丈夫だ。いっぺえ汗かいていい子らこって」
  母はそう言って、素早く僕の躯を拭い、下着を着替えさせてくれる。それが冬であれば、掘り炬燵の蒲団に挟み込み、温めた下着であったに違いない。僕は母のなすがままになりながら、母を戸惑うほど見いだしている事実に胸を熱くし、ほっとしもするのだ。
  それでも体内を立ち去らぬ寂しさの芽には、その頃から知らん振りすることにした。うつし世の家族の繋がりは甘んじることが大事で、呼び出してはならぬもの、呼んでもせんないことがあるものだ。

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2013年8月 7日 (水曜日)

『故郷よ おじゃれと招く』《Ⅴ三十三番》

     三十三番

「よお来なすった。申し訳ねえね。この人も喜ぶこって」ガラッと玄関が開くと、寒風を負って上がり込んでくる腰の曲がった老婆を迎え、母は大声を上げた。
「なあに頭数だや。一番乗りかえ」百川の婆様は火鉢式のストーブに当たると茶を啜り、仏具を置いた床の間を見遣った。「いやあ早えもんだ。へえ四十九日が目の前だの。ここん父ちゃんにゃ世話になったすけえの」
「そっげんことないて。わたしらだがね、いっぺえ助けてもろうてさ、お蔭で今日までもったんだこて」母は台所から山盛りの沢庵を出して、甲高いほどの声で言い続ける。
  百川の婆様の息子は、前年の春、肝臓を痛めて鬼籍に入った。父は一家の働き手だったその人を弔う朝、私の前で短冊を書いた。蕗の薹ひっそりとして土にあり。素直な筆だった。あの時父を見ていた同じ壁際の椅子に坐って、今は父を弔う四十二日の冬の夕べに身を凍えさせている。
「おお、雪ら雪ら」また玄関が開き、「今年はよく降るのお」今度は早い夜と雪片を負って、外山の奥さんが口走りながら上がってきた。「どうらえ、この人の足は……」
  私に声をかけたが、「ああ、雪が消えりゃ歩く足だ。春が来りゃそんま直る」そう百川の婆様が引き取った。「おめさんとこの婆様は留守居けえ」「腰が立たねえすけえ宜しくらと」外山の奥さんは手炙りした。前年の秋、小学校の校長まで務めた旦那さんが脳を病み、これも鬼籍に入った。すでに寝がちだった父が弔いにでると、「チーズを食い過ぎたがら」そう外山の婆様が何度も口にした。
 その父が程なく冬の入口で鬼籍に押しかけると、向三軒両隣で死のリレーを賄ったかのようだった。
「あれ、お揃いだのお」やがて桜井の婆様が玄関から半身を乗り出して、「遅れて勘弁してくんなせい」畏まった風に言うと、「何もこれからだや」百川の婆様が声を張り上げた。
 桜井の婆様は後家を通して息子二人を育て上げた。家は真ん前だが、足は遅れる。それを潮に「ささっ、お勤めだや」百川の婆様が床の間の仏具の前に腰を上げ、「ああ、ここん父ちゃんにゃ世話になった」そう口走ると、「ほんにそうだのし」まずはそこから婆様達は唱和する。「なに言わんだてえ」と母はまた大声だ。「そっげんことねえこってえ」
 そして燈明が照らす父の遺骨に向かい、六度目の三十三番が始まる。不動釈迦文殊普賢地蔵弥勒薬師観音勢至阿弥陀阿閃大日虚空蔵……枯れた婆様達の喉声と、そこから唸りでる節回しが寒燈下に切なさの渦を作る。
  膝の上の文言集に老婆達は目も呉れない。弔いの節は耳にこびりつく。この時二十だった私でさえ、一番に紀の国、と始まれば、ふだらくや岸うつ波は、と続く。
 二番の紀三井寺、三番の粉河寺と、西国札所を辿れば、いつもは見えない死のほとりが婆様達の肩越しに開けてゆく。これを声にしている間、死が生の中に点としてあるのではなく、むしろ死の海の泡沫のようにしか生を持てぬのだと気づかされる。
 いや、唱和などいらぬ。いつ如何なる時も、父は私の傍を離れぬのだ。それでも彼岸に送り届けねばならぬものが死には含まれている。そう思うと、当初唱い継ぎ涙がでた。それが七日を重ねるうち次第に枯れた。「今までは親とたのみしおいづるをのきておさむる美濃の谷汲」三十三番に到達する頃は躯が火照る。唱い切るたびに、父の存在のなまの部分が薄れ去ってきた。
「ああ、煙りがまっすぐだの。ここん父ちゃんらしいのお」百川の婆様は線香を足し、鉦を一打ちすると口にした。「ここいらの父ちゃんは、ああ、みいんな向こうら。いっちまったのし」素に戻った声が虚ろだ。
「ありがとござんした。さっさっ、こっちで箸を汚して下せえてえ」母が仕出し屋の皿を並べた卓子に招くと、婆様達はしんみり円居を作った。「ほっげにしねえたってさ」外山の奥さんが言うと、「おごっだのお」桜井の婆様も驚き顔を見せる。
「何も、しょうしいぐれえだてえ」母はビールを注ぎ回り、「あの人も喜んでらあね、来てもろってさあ、有り難てえてえ」
 その時、仏前に吹くはずもない風が通り抜けた。太い蝋燭の火が揺れ、ふっつりと消えた。「ああ、逝ったのお」百川の婆様は風の道を振り向きもせず口にした。「逝きましたかのお」桜井の婆様が問うと、「ああ、逝ったとも。近しいもんじゃ」百川の婆様は答え、一頻り誰が暇を告げに来たのか詮索した。
 そこへ玄関が開くと、百川の長男が立っていた。「ほれっ、一杯やってくなせえ」母が強引に上げると、幹夫サは低い声で、「乙輪の婆様が病院で亡くなったがらと」「ほうけえ」百川の婆様は泰然と声にした。「ああ、向こうは賑やかなこっちゃ」
  雪中の夜の静けさが耳の奥で音を立てた。

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