『モンローの山―リンへ』
平成十九年七月十三日(金)
あなたのお陰で退院にこぎ着けます。思えばたくさん泣かせました。独りぼっちだったり、不安で怖かったり、そんな思いなんかすることなかったのに、五週間も辛いところに置き去りにしたね。あそこにあなたを一人で残すことは絶対したくなかったんだ。でも、結局こうなった。
こうなって思うのは、あなたの活動力と芯の強さだった。いや泣きもし、震えもし、僕の仕打ちを呪いもしたろう。でも、あなたは現実の歩みを見失わず、決めた日程をちゃんとこなした。そして何より、遠い毛呂山まで何度も通ってくれました。ただただ、ありがとうです。
もちろん、枕元にたくさんの人が訪ねてくれました。身に余る喜びの連続でした。言いたいのは、それらの人たちと胸を張って会うその心に、あなたの存在がかっきりと根を下ろしていたことです。
もう二年……これまでもそうだったけれど、僕はいつも心にあなたの顔を浮かべて生きている。離れていても心のあなたと話し、自分の人生の手応えを確かめながら。だから、このしんどい時期、挫けずに僕と一緒に歩いてくれたあなたの頭を何度も撫でてあげたいのです。
七月十四日(土)
台風が来るとか、窓は灰色。この六人部屋に移ってから、この窓は磨り硝子かと度々思った。でも、夕方時偶鳥がよぎるから、一面の梅雨空だとわかる。大丈夫、家に戻れば青空があるね。
五週間……やっぱり長かったね。思い出すよ、六月十五日は、それでなくてさえ心細いリンに二度も打撃を味わわせたね。最初は二人部屋に案内されて、入院の事実に戸惑いながらもどこか居直って過ごし始めた時だ。青木さんがシステム・ベッドに昇れると言い、僕らはそれに従い部屋を移った。HCUというのか、オペ後や急変の患者が入る部屋だったね。
リンは僕の状態を看護婦に伝えようと真剣だった。特に体位交換の脚の位置。お手本を示してそれを伝えようとするリンの背後で、中島さんが口走った。
「教えてくださればやりますよ」その刺々しさ。
それで僕がもう手の出せない領域に入ったことを思い知ったんだね。リンは後で言ったね。「この部屋には渡れぬ川があるでしょう」って。こういう局面を上手にやりくりできない自分が情けない。僕がリンに依存しきっている証拠で、それがこの場面の原因を作ったんだからね。
リンは傷つき、寂しさの奈落に落ちた。僕も引き裂かれた気持ちだった。その中島さんに、後できちんと挨拶をしているリンを見て、そういう姿に僕は頭が下がった。
もう一つは、入院日の夕方だったか、翌日だったか、戸口のベッドにいた老人が急変した。(このへんの事情がもう曖昧なのだけど)……要は、透析中に危険に陥った患者のベッドに若い医師や看護婦たちが群がった。処置を始める気配で、僕と他の同室者のベッドにカーテンが引かれる。リンは一度部屋を出なければならず、「外に出てもまた入ってこられますか」と声が聞こえた。それから僕は夕食の介助を受け出した。やがてそこへリンが戻り、カーテンの隙間から、「帰ります。こんな時も食べられるのね。偉いわね」と震える声で言った。動悸を抑え、青ざめたその顔が忘れられない。
人間には何でも起こりうる。頭でわかっていても現実の光景を目の当たりにすると全身がざわめく。打ちのめされて帰路についたリンを思い続けた。
(リンが子ども達と食事をするために早めに帰ったところだ。この入院で最後の面会。次はお迎えの朝だ。帰り際に触れたリンのやわらかさは、僕が人生で得た最良のものだ。僕はリンの許へ戻るのだ。そこが魂のふるさとだから……そう、僕はふるさとを見つけたのだ)
この褥瘡は四年も持ち続けた。この期間の出来事はどんどん記憶の底に埋もれてゆく。だが、失ってはいけないものを告げるように、何かの証しとして褥瘡は絶えず躯にあった。
何としても自力では治癒に至らなかった傷……それは、傷なくしては得られぬものがあったがゆえに、僕に用意されたもののようだった。リンを引き寄せた力の根は、案外傷にあったといえば妄言だろうか。でも、それゆえに費やしたベッド上の時間の意味は名状しがたい。功罪は分かちがたくても、いつの間にかこの傷を持ち続けることに脳が破裂しそうになっていたのだ。
だからだろうか、リンがオペ室に見送ってくれたあの時、エレベーターを待つストレッチャーの上で、不意に何かの歌のフレーズが浮かんだ。
……今日ですべてが変わるさ、今日ですべてが報われる……
何の一節だろう……まるで思考が滞ったような状態で、僕は手術室に向かった。
手術は何度もした。その度にけっして健常に戻る手術ではないことを切なく思った。この齢になっても、その痛みはある。だから、麻酔から醒めるときが嫌いだ。また元の現実に目覚めたことへの少しの失望……しかし、次の瞬間襲ってくる悪寒がなかったのは、今回の救いだった。そして、すぐさまリンの姿を認めたのは、大きな安堵感、大きな幸福だった。
後日、大野さんという老婦人がオペ直後、意識の混濁の中で、「どうして私はこんな目に遭うのですか? 何で私にこんな仕打ちをするの? 私が何をしたと言うのよ? 警察を呼びますよ」と憑かれたように言い続けた。
付き添ってきた若い医師二人は「落ち着いたら来るから」と苦笑いして部屋を出たが、待っていた老人の娘と妊婦の孫娘は「おばあちゃんは狂ってる」と匙を投げ、惘れ顔で帰って行ってしまった。
だが、老人の言葉に僕はちっとも異常を感じぬのだ。実際その通りで、ちゃんと言い得ているのだ。僕だってそう叫んで麻酔から醒めたいのだ。ただ、その老境に至っていない。
七月十五日(日)
外は大雨だという。夜中の体交で同室の人が眠れないらしい。空間に幾分ゆとりのあった前の部屋と違い、手を伸ばせば隣人のベッドに届く狭い六人部屋の宿命だ。
昨日の午後大野さんが転院する声が廊下でした。老いぬ人はなく、病まぬ人はない。そして半生の付けが躯に刻印されたように、人は病室を入れ替わり立ち替わりする。
この病棟は半分が皮膚科、半分が口腔外科と形成外科だ。だが、手術する患部よりも、その人が宿痾として抱える内臓疾患が、恢復を妨げる。
当たり前の話だが、この場に足を踏み入れれば否応なくあの手この手の医療処置を受ける。症状がもつれれば、もう何の判断もできないような躯に何台も点滴ポンプをぶら下げる。
リン、僕はここに来て人としての終わり方をしみじみ考えたんだよ。自分が今年五十四という年齢に達することもあって、この世界から去るときの難しさを本当に実感したんだよ。
もちろん、先のことはわからないと言い訳してきた。でも、深谷シネマで一緒に見た『海に飛ぶ夢』という映画を思い出す。あれは何かの暗示ではなかったろうかって。
いつもは目を反らす自分の終末をこんなにも言うのは、大野さんの連夜の譫言に聞き入っていたからかもしれない。いや、もう一人岡部さんという老紳士の難行を見守っていたせいが大きい。
透析で血圧が下がり、あのリンを驚かせた入口左の人だよ。彼はあの後、意識不明に陥った原因を問い沙汰され、抗生剤や高圧剤の投与を受けるために、首の付け根に針を刺されることになった。家族が入室を許されるまで、ほぼ一時間、懸命な取り組みだった。
そういう危機を脱して、明くる日目を醒ました時、彼は被害妄想狂の別人になっていたんだ。「何するんだよ。何をしたんだよ。このままでいいんだよ。何もするなよ。来るなよ。触るな」と大声で言い立てる。「テルコー、マユミー、こいつらが何をやるか見ておけ」と家族の名を呼び、不当な扱いを呪い続ける。
リンもこの午後、僕のベッドの横で彼の様子を視野に入れたね。「あの方、どうしたの?」と気遣うきみに経過を話すと、「わたしの知ってる人もそうだったのよ。でも、ちゃんと戻るのよ」と言った。
たしかに次の日の夕方には、彼から魂の荒れも去ったが、この日は、つまり引き続くこの夜はどこからそんな力が湧くのか、彼は近づく者を恐れ、大声で罵り続けたのだ。血圧や脈拍を知らせるモニターは測定不能でピーピー鳴り、血糖値を計る都度「痛いよ。やだよ。やめろよ」と声が炸裂する。当直だった主任看護婦は、朝容態を診にきた皮膚科の女医に「一睡もしておりません」と報告した。
しかし、奥底から迸るような荒々しさが表れたのは、これが最後だった。もともとそんな興奮感情の高ぶりを示す容態ではなかったのだろう。ようやく静けさが戻ると、また一日置きの透析が始まり、血圧が下がる。すると、医師や看護婦が彼の許に殺到し、騒ぎになる。これが済むと、点滴の種類が増えている。気がつけば、点滴の管と検査のコードに老人の躯が埋もれているようなのだ。
枕元を訪ねてくれた貴子さんと「終わり方」の話をしたのは、この時だ。「それが難しい時代ですね」と貴子さんは言った。
僕は彼がどんな人生を送ってきたのか、思わずにはいられなかった。今時珍しい亭主関白だったのだろう。いや、それを許容する素晴らしい奥方を連れ合いに持ったのだろう。子どもは、こよなく愛したのだろう。既婚の娘の手厚い看護を受ける様子を見れば、はっきりとわかる。彼は家族にはなくてはならない存在なのだ。
だが、その家族を廊下に待たせ、扉の内側で治療や処置が行われる。
透析は体重測定がが不可欠らしい。衰弱が著しい老患者の透析が部屋で行われることになった。彼を車椅子に乗せることはできない。ベッド上で体重を計る器材が持ち込まれ、彼を寝たまま吊して計測した。それが透析の前後にあった。検査技師と測定の看護婦達の顔ぶれが、前後で違った。慣れない器材の扱いと測定方法で、双方の組がそれぞれのやり方で苦心した。その結果、透析の後半を引き継いだ検査技師が体重の数値が違っていることに気がついた。技師はピッチで上司に事態を報告した。「自分は途中で引き継いだだけだ」と申し開きを含めて。
この時、老患者は物音も立てなかった。家族は立ち会うこともできない空間で、医療の聖域と信じたいベッドで、他人に囲まれて眠り続けた。
待って待ってやっとたどり着いたエアー・フローティング・ベッドは、看護婦曰く費用は一千万、重量一トン、砂と呼ばれる細かな粒子を入れ替えると百万だということだ。かなりレトロな代物で、砂を吹き上げて横たわる人体を除圧するらしい。仰臥してみると、全身ズボッと沈み込んだ感じで、四肢麻痺の僕などひっくり返った亀のようだ。そこから下りた今となれば、麻痺が深刻になるにつれ、深まっていった躯の逃れられない重さから、少しの間解放されていたのだとわかる。
このベッドが本来六人部屋の空間に二台あって、当時、右列の真ん中にいた僕の足許の方、反対の左列の入口側に病める老紳士がおり、窓際のもう一台のシステム・ベッドで老婦人が褥瘡のオペ後を過ごしていた。二人の間は看護婦が滞在するスペースで、電子カルテと処置道具があった。
僕が見る限り、老紳士と老婦人には共通点があった。極度に構って欲しい患者だったということだ。治療の場所である以上、当然の欲求かもしれない。ただ、二人はコントロールを失った内面をむき出しにしていた。言い聞かせても届かぬところは、子どもより手に負えなかった。だが、改めて言うが、だから患者なのだ。どんな患者に対しても、看護婦はアガペーの愛に似た豊かさを湛え、困難なケースに臨むのではないか。
もう一つ患者を戸惑わせるのは、あらゆる手を尽くす看護婦とするべきことをするだけの看護婦が現場に共存することだ。オペ後、すでに兆しのあった齢八十の老婦人が、さらに深刻な譫妄状態に追い込まれる出来事に出くわしたのには、そんな事情も絡んでいただろう。
(雨が上がって、夕方陽が差した。いま夜の向こうで花火の音がする。どこで上げているんだろう。リンはママに会いに行っただろうか。足踏みしていた夏がやってくる)
七月十六日(月)
看護婦がカーテンを開けたけど、期待した台風一過の青空はない。朝六時に検温のコールが流れると、看護婦が台車を押すガラガラという音が聞こえ、動ける患者は廊下に出て行く。僕の入院もあと二日。
リン、この一連の文章を『モンローの山』という題にしようと思うんだ。昔、『モロー博士の島』という安っぽい映画を見た。ドクター・モローが動物を人間に造り替えて住んでいる禁断の島というわけだ。夜中にそれを思い出したら、頭から離れなくなった。
でも、ここの地名からマリリンの姓を聞き取っているに過ぎない。この山に女神がいたら、マリリンのように微笑んでいて欲しかったんだよ。
僕は老紳士の過去を知らない。だから、どんな物腰が平素の彼なのかわからない。言えることは、「もとのお父さんに戻ってよかった」という家族の言葉通り、彼は苦行に耐えて落ち着きを取り戻していた。
それから二つの夜を老紳士は味わったのだ。一つは小柄な初老の看護婦が注文の多い彼の言葉に、全力で応えた夜だった。数種の輸液と透析で命脈を繋いでいる彼のベッドを、彼が望むからと、その上半身を起こすべく、彼女は上げ下げを繰り返した。或いは両足を上げるべくクッション代わりに物をかった。カルテにある指示の幅で、そこから先は看護婦一人一人の才覚なのだ。
そして深夜十二時、眠れぬからラジオを聴きたいという彼の要望に従い、彼女は棚の黒いバッグを探り、お目当ての品を見つけた。だが、その試みも、「ここは電波が入らないのかな」という言葉でうやむやになった。こうして一夜を働いた彼女の得たのは、「胸が苦しい」という患者の掠れ声だった。「どう苦しいの?」という問いに、「息が吸えない」と彼は答えた。あとで、ポータブルによる胸の撮影になった。
次の夜、部屋の受け持ちは若い丸顔の看護婦で、課されたものだけを果たすタイプの人だった。そういうスタンスで仕事は賄える。その姿勢を咎める理由は、現場にはない。
消灯時、一つのやりとりがあった。彼はラジオを聴きたいと言い、彼女は「だめだよ。みんな眠る時間だよ」と答えた。たしかに病棟の決まりとして、消灯には「テレビ・ラジオは電源を消して……」とコールがある。彼は言い募ったが、彼女はだめを押し通した。子どもに辛抱強く言い聞かせるような、家族に似たアプローチはない。彼女は暗がりにすべてを閉じこめるように、これまでになく部屋の明かりを落として部屋を出た。それは巡回時間しか部屋に足を踏み入れない彼女の姿勢を示すものだった。
だが、その直後、彼の内部で何かが切れた。彼の右腕はもぞもぞと動き出し、治療という名の下の数知れないしがらみを取り去ろうとする。計測不能でモニターの赤ランプが明滅し、ピーピー耳障りの音がする。しばらくすると、看護婦が現れ、「だめだよ。とっちゃだめだからね」そう言って、モニターを戻して出て行った。そんな攻防が二、三十分置きに数度繰り返され、彼のうごめきは半身を左に向け、片方の輸液を外そうとするまでに拍車がかかっていた。四度目に現れた看護婦は業を煮やし、今度は椅子に腰掛け、「そんなことしていいと思ってんの? みんな大人しく休んでるんだよ。それに心配してるご家族がいるんでしょう。こんなことして恥ずかしくないの? ねえ、どうなの?」ときっぱり迫った。しどろもどろの掠れ声の彼に対し、「どうなっても知らないからね」と彼女は言い捨てて出て行った。
深夜十二時の巡回で、同僚の看護婦は「お願いだから静かに眠ってね。○○さん、もう帰っちゃったよ。朝また来るって」そう言って去ったが、それで老人の暗い反乱がやむはずもなかった。
明け方、老人のモニターは表示を失い、自力で抜ける針は抜き去っていた。やってきた受け持ち看護婦は、「知らない。もう知らないからね」と言い切った。その時、老人は突然折れた。この看護婦に向かい、泣き言を口にしたのだ。「わたしはずっと心臓病で、肺も悪いし、おまけに糖尿で……わたしは、わたしはねえ……」
なぜこの看護婦にそれを言うのか。堂々の人生を送ってきたあなたが、なぜ許しを乞うように言うのか。
僕は天井を見つめながら、「知らない」という言葉の魔力を思った。自立不能の状態で突き放されたようにこの言葉を聞くと、泣きじゃくる幼児が蘇る。そうなれば人は立つ瀬を失い、底なしに滑り落ちる。
功罪はともかく、この時から老人の大きな嵐は去って、騒ぐ力を投げだしたようだ。もっとも、纏い付くものを取る行動は残って、その後左手を繃帯で厚く巻かれていた。こんな夜を越えて、老婦人を怯えさせたあの日を迎えたのだ。
その日、老紳士はいつものように透析に部屋を出て、夕方戻ると血圧が下がった。付いてきた皮膚科の主治医と同僚の女医二人が処置をする間に、モニターの心拍数が一挙に落ち、表示が不能になった。小柄な主治医は血相を変えて老紳士の胸を押し続け、長身の同僚はピッチで応援を呼んだ。その男性医師が駆けつけた時は、老紳士は命脈を繋いで昏睡した。すぐさま解った血液の数値で、「こりゃア敗血症でしょう」と男性医師は言った。
その時点で老婦人と僕のベッドはカーテンで囲まれた。老紳士に群がる人の動きは、異様な気配を醸し、鎖ざされたベッド上の人間の神経を刺激した。深夜十二時前には老紳士の周囲が整えられ、家族や親戚の入室が認められた。部屋に啜り泣きが洩れ、「がんばれやー」と誰かが言う。「いやあ、がんばってるって。もうずいぶんがんばってるって」と奥方が言う。「そうだやなあ、まあ、かずおさんがんばれやー」と誰かがまた言った。この二十分の別れの場のあと、看護婦達が戻ると、今度は堪りかねていた老婦人がカーテンの中で騒いだのだ。
「帰る帰る。わたし帰らせてくださいな。ねっ、もうこんな所にはいられないのよ。おっかないのよ。わたしがいると迷惑だから帰ります」
こんな時、老婦人の小さな体躯から発せられる声は、驚くほどしっかりしていた。
「だめですよ。大野さんはオペしたばかりでここにいるんでしょう。このベッドからも降りられないのよ。寝ていてちょうだい。帰るって言われるほうが迷惑なのよ」
年嵩の看護婦は彼女にしては珍しい剣幕で言い放った。もう何かの一線を越えたように、まるで引き下がらず、それどころから身を起こそうとする老婦人に対し、看護婦は押し問答を打ち切り、患者の腕をベッド柵に拘束した。やがて看護婦達も立ち去り、静けさが戻った部屋に、老婦人の声だけがした。
「ほれ、まいちゃん、鋏をとってこいや。ちっとも言うこときかねえなあ。まいちゃんってばよお。早く鋏を持ってこいや。これを切って、ささっおうちへ帰ろう。せっかく遊んでやったんだに、言うこときかねんじゃあかなわねえな」
時に名を呼び、話しかけ、はっきりと私語する。眠りは訪れず、尽きることのない妄想のやりとりが闇の時間を埋めてゆく。部屋の様子を見に来た顎髭の看護士がわざとカーテンの側の立つと、老婦人は「じゅんちゃんなの? ほれっ、早くこいや」と中で呼ぶ。看護士は足音を殺して部屋をでた。この時から老婦人はこちら側にうまく戻れなくなった。
七月十七日(火)
昨日の午後、久しぶりに青空が出た後、また一面の雲が窓を塞いだ。誰かが地震よと声を上げるから、注意を払うと確かに建物が揺らいでいる。「新潟で地震だってさ」とテレビを見ている患者が言った。
今日は朝から雨の線条が窓に見える。リン、これでこの一文を締め括ろうと思う。ここに登場しなかった人物も多い。それは釣り糸や釣り針を代えれば、別の物語が釣れるということかもしれない。
入院のたびに思うことは、路上を往来する人達よりも、行き止まりで剥き出しの状態の人達が、一つ屋根の下に居合わせる。それもなにやら旅情が結ぶ旅先のことではない。病の力が此処に引き寄せ、ある段階を踏めば、それぞれの人生に帰って行く。やはり特別な場所だ。
老紳士はあの二日後、二十四時間の透析ができる病棟に移っていったし、老婦人は僕が大部屋に移ってから、地元の病院に移っていった。
彼らの記録は、彼ら自身に知られることはない。あの部屋を通過する半分の人達は、そんな空白を持つだろう。偶々システム・ベッドがあの部屋にしかなく、そこに寝る僕は僅かな日課を済ませば冴え冴えとした意識で天井を見つめる他はなかった。その頭に彼らの生活の断片が焼き付いたのだ。明日此処を出る僕は、それを書き出さねば、退院後の一歩を踏み出せぬほどの強さで。
人は本当に生まれて老いて、病を得て死んで行く。そしてこの時代、人は用心してかからないと「終わる自分」を実現できない。
何処にか祭り囃子は響くらん帰路へ導け古里の笛
一一一七号室にて


最近のコメント